2008.11.30 Sunday
夫婦別姓ってどんなくらしなの?体験談を聞く会 特別編
11月28日から、仙台市の男女共同参画センター、エル・パーク仙台で繰り広げられているエル・パークフォーラム2008。ひぐちが連絡先である別姓を考える会で夫婦別姓ってどんなくらしなの?体験談を聞く会 特別編を行ないました。
スタッフの方の手書きのチラシでの広報や、前日に複数の新聞での掲載された会の案内をごらんくださった方がいらっしゃってくださいました。中には県外から車を飛ばしておいでくださったカップルや大学のゼミで夫婦別姓を学んでいる学生さんなども多数参加され、会を催したものとしては感謝感謝です。
別姓を実践している会員の体験談、法的な話、子どもへの影響etc.まさに市民団体として長年続け、会員の方々の経験の積み上げがあったからこそ、次の方々へ伝えられるんだなぁと痛感。
夫婦別姓について役所に聞いても、たらいまわしされて…とお話くださった参加者。
そうよ、そうよ、そのような方々のためにまさに私たち市民の出番があるんだわ。そのニッチマーケットを担っているのかなぁ(あ、モチロン産業として収入があるなぁんてことはありませんが)と自負してしまいました。
1991年から続けている「別姓を考える会」。以前、私のことを、長年市民活動をしている知人が「ひぐっつぁんにとって別姓は伝統芸みたいなもんだっちゃ」と称していましたが、伝統芸になってしまうほど別姓の法制化はなされていません。今日の集まりでも「いつ法制化されるんですか?」との質問がありましたが、別姓の法制化はまさに政局次第という段階。社民党・共産党はずーっと、公明党・民主党に関してはチョット前までは選択的夫婦別姓等の民法改正について、賛成せよと党議拘束がかかっているのですよ。
別姓を考える会がスタートした黎明時では、妙齢の時期に殆どの人が結婚をすることがある程度当たり前とされていました。それぞれがある意味「自分のこととして別姓」を考える時代だったのかなぁと思い起こします。
今は、格差社会の中、カップルで新しい暮らしをしようと思っていても暮らせないほどの低賃金。また働く正社員などはカップルになりたくてもそもそも相手と出会う時間さえとれない。こんな時代になってしまいました。
「『別姓』って言い合える相手がいるだけ良いさぁ。」と複数の方からも言われます。各種統計を見てもいずれは結婚したいと思う人が大多数。このある意味「ささやかな願い」さえも格差がある時代になってしまいました。まさにここにも希望格差社会があるのでしょう。
今日の会が終わってからスタッフの一人がぽつんと「この時間、集まりにこれるだけでも幸せなのかもしれないよね。」と話したことが印象に残りました。
スタッフの方の手書きのチラシでの広報や、前日に複数の新聞での掲載された会の案内をごらんくださった方がいらっしゃってくださいました。中には県外から車を飛ばしておいでくださったカップルや大学のゼミで夫婦別姓を学んでいる学生さんなども多数参加され、会を催したものとしては感謝感謝です。
別姓を実践している会員の体験談、法的な話、子どもへの影響etc.まさに市民団体として長年続け、会員の方々の経験の積み上げがあったからこそ、次の方々へ伝えられるんだなぁと痛感。
夫婦別姓について役所に聞いても、たらいまわしされて…とお話くださった参加者。
そうよ、そうよ、そのような方々のためにまさに私たち市民の出番があるんだわ。そのニッチマーケットを担っているのかなぁ(あ、モチロン産業として収入があるなぁんてことはありませんが)と自負してしまいました。
1991年から続けている「別姓を考える会」。以前、私のことを、長年市民活動をしている知人が「ひぐっつぁんにとって別姓は伝統芸みたいなもんだっちゃ」と称していましたが、伝統芸になってしまうほど別姓の法制化はなされていません。今日の集まりでも「いつ法制化されるんですか?」との質問がありましたが、別姓の法制化はまさに政局次第という段階。社民党・共産党はずーっと、公明党・民主党に関してはチョット前までは選択的夫婦別姓等の民法改正について、賛成せよと党議拘束がかかっているのですよ。
別姓を考える会がスタートした黎明時では、妙齢の時期に殆どの人が結婚をすることがある程度当たり前とされていました。それぞれがある意味「自分のこととして別姓」を考える時代だったのかなぁと思い起こします。
今は、格差社会の中、カップルで新しい暮らしをしようと思っていても暮らせないほどの低賃金。また働く正社員などはカップルになりたくてもそもそも相手と出会う時間さえとれない。こんな時代になってしまいました。
「『別姓』って言い合える相手がいるだけ良いさぁ。」と複数の方からも言われます。各種統計を見てもいずれは結婚したいと思う人が大多数。このある意味「ささやかな願い」さえも格差がある時代になってしまいました。まさにここにも希望格差社会があるのでしょう。
今日の会が終わってからスタッフの一人がぽつんと「この時間、集まりにこれるだけでも幸せなのかもしれないよね。」と話したことが印象に残りました。