昨年の8月26日に61歳で亡くなった、せんだい・みやぎNPOセンターの代表理事だった加藤
哲夫さん。ご逝去から一年の今日、
加藤哲夫さんからの宿題を考える!全国集会が仙台のライブホールRensa(レンサ)で行われた。
加藤哲夫さんの名前を知ったのは、今を去ること30年以上前。当時大学生だった私は、仙台駅前の丸光(今はさくら野百貨店)の裏通りにあった「八重洲書房」によく通っていた。
どちらかというとやんちゃでアナーキーな先生のご指定の教科書は「八重洲書房」のみでしか取り扱っていなかった。新年度になるとそこに買いに行け。と命ぜられ、大根やシャボン玉やとすけを売っている市場の中を入って行くと突然本がダダダッと積み重ねられている、黎明期「八重洲書房」を発見したものだった。
なるほど、先輩たちに「八重洲書房に行くときは決して、綺麗な服、汚してはいけない服を着ていってはいけない」と言われたことが、現地に行って妙に頷けたことを思い出す。
その後、八重洲書房は移転をし2階建ての店舗となって、ちょっとおしゃれになり、2階には「good man」という喫茶店も入った。主要なデートコースの一つである八重洲書房であったが、流石に「good man」には、お金がたまったときや自分たちへのご褒美の時にしか行けなかった。
人権・平和・環境エト
セトラ、特に2階には店主のこだわりの本があった。佐藤文明さんの「戸籍」の本に出会ったのもこの店。エコロジカルなフェミニズムの本もたくさん置いてあった。
2階への階段の手すりには「ミニコミ誌」もたくさんぶら下がっていた。その中で光をはなっていたのが、「加藤哲夫のBOOK NEWS」。加藤さん直筆のカタツムリの絵があり、出版元の住所は「仙台市茂庭字小畑山・・・」(今の青葉区折立)とあった。仙台市にもこんな感覚が鋭く、面白い人がいるんだといたく感銘したことを思い出す。
その後就職をし、仙台市折立の地に赴任をした私は、1982年、ミニコミ誌のみで知っていた加藤哲夫さん&ファミリーのみなさまと顔の見える関係となったのだった。
その後、西公園の向かいに、エコロジーショップ「ぐりん・ぴいす」を出店した加藤さん。環境や安全な食品の話などでこの場所をお借りして、栄養士の仲間との交流をしたことも思い出す。
1980年代は輸入食品のポストハーベストの問題がクローズアップされてきた頃だ。食物アレルギーについても警鐘が鳴らされ、手探り状態ながら対応をしていかなければならかった時代。加藤哲夫さんの本を読んだり、論議をしながら、私は管理栄養士として、子どもたちにより体に良い食べ物を出来る限り提供したいと実践をしたものである。国産の果物は輸入物とくらべて高価であったけれど、どうにか赤字を出さないように、こだわりの食事を提供していったことを思い出す。ぐりん・ぴいすで出している食事のレシピを教えてもらい、昼食やおやつの献立に取り入れたこともあった。
その後、加藤哲夫さんはせんだい・みやぎNPOセンターを立ち上げる。市民団体の一人として、このセンターにはお世話になった。そして折々につけ、相談を持ちかけたことも少なくはなかった。
今日の全国集会には、その名の通り、全国から加藤哲夫さんに惚れていたであろう多くの人が集まった。NPO発祥の要となった加藤哲夫さんからの宿題のワークシートが一人ひとりに配られた。加藤さんのメッセージ付きで。
仙台の小中学校は今日が夏休み最終日。こんな日に宿題を出された私たちは、長い時間をかけて悩むことを楽しんで、実践をしながら回答を探していくんだろう。