仙台市議会議員(青葉区)「あなたの力に!」ひぐちのりこ
【ひぐちのりこ】おしゃべり会
120831osyaberi.jpg【ひぐちのりこ】事務所で、おしゃべり会を開きました。
地域防災計画について、帰宅困難者対策は?備蓄物資について、放射能対策について、脱原発について、これまでの仙台市政についてや今後のぞむこと、そして、ひぐちのりこの議員活動に対するご提案など、多岐にわたって「おしゃべり」をしました。
この声を政治に活かすため、踏ん張ります。

120831demo.jpg毎週仙台市中心部で行われている。
「脱原発・みやぎ金曜デモ」。
今日は、勾当台公園いこいの広場でおこなわれました。
女川原発再稼働反対!
子どもを守れ!いのちを守れ!
原発いらない!
などなど、一番町、青葉通りをアピールしました。
| 選挙・政策 | 23:42 | - | - |
「放射能被害を語る宮城県民の集い」お知らせ
120830housyanouhigaikenmin.jpg東日本大震災の地震・津波被害に加え、東京電力福島第一原発の放射能漏れ事故により、宮城県民はかつて経験したことのない困難な状況に置かれています。とりわけ、原発事故による放射能の拡散は、農林水産業のみならず、多くの産業や県民の暮らしに大きな打撃を与え、世代を超えて健康に対する不安をかき立てています。ただ、放射能被害については、多様な情報が氾濫していることから、時として家庭内での意見の違いはもとより、しばしばマスコミ等でも報じられているように、行政と住民、生産者と消費者、被災地と放射能の拡散を心配する人々との間で意思疎通を欠いたまま、対立関係が際立つといった不幸な事態も招いています。
しかし、元はといえばその原因は、東京電力が起こした放射能漏れ事故であり、その後の政府の対応のまずさによるものであることは、いまさら申し上げるまでもありません。私たちは、宮城の震災復興を成し遂げるにあたり、放射能汚染やその被害に対する情報を、県民はもとより関係機関の間で広く共有し、心を一にして復興に取り組むことが求められていると思います。また、放射能被害に対する県民の共通認識を土台として、東京電力や政府に正当な補償や被害の早期回復措置を求めていくことが必要だと考えています。
  そのために、多くの県民が一同に会し、可能な限り情報を共有し共通認識を深める機会にしたいという趣旨で、この集いを開催します。

2012年9月15日(土)13:00開会(12:00開場)
 仙台サンプラザ 大ホール
仙台市宮城野区榴岡5-11-1
<JR仙石線「榴岡駅」下車2番出口前>
TEL(022)257-3333
2012年9月15日(土)13:00開会(12:00開場)
 仙台サンプラザ 大ホール
仙台市宮城野区榴岡5-11-1
<JR仙石線「榴岡駅」下車2番出口前>
TEL(022)257−3333

プログラム
12:00 開 場 
13:00 主催者あいさつ
    呼びかけ人あいさつ
  講演「原子力と放射能被害:広島・長崎から福島まで」
      今中 哲二さん(京都大学原子炉実験所・助教)
14:30 県民の訴え
 −放射能被害を受けている各分野の方から
  集会アピール

参加費:無料(先着順)
<留意事項>
●ご来場の際は出来るだけ公共交通機関をご利用下さい。
●会場内でのビデオ撮影はご遠慮願います。
●賛同団体・個人を幅広く募集しています。
【後援】宮城県生活協同組合連合
【主催】食・緑・水を創る宮城県民会議
TEL(022)222ー9181

どうぞ皆様おこしくださいね!
集会HPはこちら
| 選挙・政策 | 20:15 | - | - |
仙台市衛生研究所に行ってゲルマニウム半導体検出器を見学
仙台市若林区にある仙台市衛生研究所。
今年2月に導入され、卸売市場を経由せずに販売される食品などについて、放射性物質の「精密検査」を行っています。
↑「Ge 半導体ガンマ線スペクトロメータ」です。
『環境中のガンマ線の影響を小さくするため、検出器であるゲルマニウムの「半導体」を分厚い鉛の壁で囲んでいます。
半導体とは、電気を通す伝導体と電気を通さない絶縁体の中間の性質をもつ物質のことです。半導体にガンマ線が入ると電流が流れるので、流れた回数を測れば、放射線量を知ることができます。』(仙台市衛生研究所、情報広場より引用)

今月から、ドッドジェーピーの学生さん(インターンシップ生)2名と議員活動をしており、今回はその方々と一緒に検査の実際や説明を聞きました。
検査の手順や実際の検査について、どのような仕組みで放射性物質を調べることができるのか、検査下限値の計算(Σとか、√とか記憶のかなた・・・)についてとか、担当の方々の専門的な話の尽きないこと尽きないこと・・・(それ以上に私たちの尽きない質問と言うのがあったこともあって)久々理系の血!がうずうずとしました。
東日本大震災で放出されたセシウム137の半減期は約30年、セシウム134の半減期は2年。セシウム134はここのところ数値が下がってきたようだと担当者は話します。
放射性物質についてはまず測定し、公表することが基本のきです。これからも長い期間、測定をし続けることとなります。
現場の第一線で日々地道に仕事をしている人たちも、私たちの暮らしを支えてくれています。



| 選挙・政策 | 23:30 | - | - |
市議会議員として1年目をむかえました。

昨年の今日、東日本大震災で延期となった仙台市議会議員選挙の投開票が行われた。
一年前の今日、4812名の方々が、投票所に足を運んでくださり、私の名前を書いてくださったのだ。
それを思うと、ますます気持ちを引き締めて議員活動をしなくっちゃと思う。

来月5日からはじまる「仙台市議会第3回定例会」。33の議案が話し合われる。
午前中は会派に議案の説明があった。仙台市の2011年度の普通会計決算は、歳入・歳出とも40%を上回る過去最大規模となっている。

原発ゼロへの支持率がパブリックコメントで9割と報道された。
フランスに女性閣僚の風 オランド政権、個性派ぞろい、今日の朝日新聞に記事が掲載された。
これからは議員一年目ではない。自分だけでなく周りからもそう注目される。
この時期に政策決定の場にいることができる幸運を活かし進んでいきたい。

| 選挙・政策 | 23:14 | - | - |
東日本大震災復興会議、地域防災計画について

8月22日に行われた「東日本大震災復興会議」。
質問&仙台市からの回答は下記
災害備蓄物資及び物資供給対策の見直しのポイントについて
Q. 公的な食品等の備蓄品目として、災害時要援護者等に配慮したレトルト食品等を備蓄とあります。具体的にどのようなものを想定しているのか。

A.従来のアルファ米に加え、今回新たにご飯をレトルトパックしてご飯のやわらかさを加減し、おかゆや離乳食にとしても提供できるものを考えている。カレーなどおかずになるものも考えているが、これについても柔らかさを加減して使えるものを考えている。

Q. 食物アレルギー対応食や離乳食、濃厚流動食などについては、家庭内の備蓄を啓発するとともに、公的な備蓄が必要ですし、必要な人に届ける配送方法の確保が必要と考えるがいかがか。

A.食物アレルギーとなる物質も人によって様々であるし、離乳食や流動食も人によって必要とされるものも様々なのでこのような面からも家庭内備蓄の啓発は必要と考えている。アレルギー対応食の公的備蓄については、これまでもアルファ米についてはすべて特定原材料等25品目を使用していないわかめごはんを備蓄しているところで、新たに備蓄する食品についてもアレルギー対策に十分対応していきたい。離乳食、濃厚流動食の備蓄としてはレトルト食品等として対応していきたい。なお必要な人に届ける配送方法の確保ついては、この度の震災の実態を踏まえつつ、地域団体の支援のもとで地域の学生や生徒などの協力を視野に入れた体制づくりを検討していきたい。

Q. 東日本大震災における避難所において、おおむね粉ミルクは配布された。生後5か月までの間、完全母乳のお子さんは5割以上、混合栄養も混ぜると生後2か月までの間は9割以上、生後5か月でも8割以上が母乳育児をしている。。粉ミルクの備蓄、配布も必要だが、それ以上に乳児の母親が母乳を続けられるように十分に休息ができるような配慮や授乳ができるスペースの確保が必要。考えを伺う。

A.昨年度、すべての避難所への授乳スペースとしても使用できるテント式のプライベートルームを2基配備した。避難所内の区画割に関しては、授乳スペース、更衣スペース等、高齢、障がいを持った方、乳児の母親に配慮したスペースの確保に努めていきたい。

Q. 備蓄食糧が配られても、離乳食を食べさせるスプーンがなかったという声もありました。離乳食を食べさせた経験のある人が、計画段階から参画していれば、このようなことはなかったのではないか。災害備蓄物資の見直しでは、各年代や性別、障がいの状況などライフステージの生活に根差した視点が必要、幅広い分野からの人材の登用が必要。さらに、避難所で運営に携わった市職員や公的施設の職員の経験と教訓を生かすことが必要。

A.これまでもコミュニティ防災センターで備蓄していた炊飯装置セットの一部として、食器やスプーン等の備蓄をしていたほか、区役所の哺乳瓶を備蓄していたが、こうした物資が活用されなかった部分もあると認識している。備蓄の物資についてはこれまでも多くの年代や様々な場面から様々な意見をもらっているほか、避難所運営に携わった市職員の経験談や意見も集約しているところから、こうしたことを踏まえつつ品目や配置場所については見直しを行っているが、提案の趣旨も踏まえながらさらに検討していきたい。

Q. 公的施設での備蓄方法として、分散備蓄を用いるとしており、市民センターやコミュニティセンターも挙げられている。備蓄をする場所や消費期限の管理、物資の点検方法についてどのようにお考えでしょうか。場合によっては応援体制の確立や人的確保も必要。まず現場の意見を聞くべき。考えをうかがう。

A.備蓄場所について、食料については各指定避難所に1,800食、市民センター及びコミュニティセンターには約300食、分散備蓄としては約40万食を備蓄していた。備蓄スペースが不足するような指定避難所があったら、新たに備蓄倉庫を敷地内に設置すること等を含め対応していきたいと考えている。
本市の備蓄食糧、飲料水は保存期限が5年で統一している。これらは保存年限単位でに管理しており、点検については担当部署が一括して行っている。今後、備蓄量、備蓄場所が変わる折には新たな管理手法を検討しておく必要があると認識している。

Q. 東日本大震災において、全国からたくさんの支援物資が届き、その中には医療や介護などに使用する専門職でなければわからない衛生用品や特殊用途食品などが数多くあったと聞いている。物資集配拠点には、それぞれの専門分野の市職員の配置が必要と考えるが、いかがか。

A.震災後物資集配拠点において、医療等の専門知識を必要とする物資が届いたことから、仕分け等に保健師、薬剤師を臨時的に派遣をして避難所ごとのパッケージを作って送付すると言ったことを実際に行った。今後とも経験を踏まえて、必要に応じて専門職による物資の仕分け等に関して配慮していきたい。

Q.要援護者支援対策の見直しのポイントについて。仙台市出花体育館で行われた避難所ワークショップに参加し、災害時に手助けが必要な人として、障がいを持ったお子さんとその保護者だったという話が印象に残った。地域の中で顔の見える関係を作り、障がいの特徴を知ってもらい、必要な支援を求めやすい体制をつくることが肝心。考えを伺う。

A.広く市民の皆様の障がいに関する理解を深めていくことが大切。これまでも障がいの有無にかかわらず、誰もが集い交流できるイベントを開催し、障がい理解の促進に努めてきた。大震災を経験して、障害のある方の支援に大きな役割を持つことは、日頃の地域とのつながりであり、支援のネットワークだということを再確認した。今後とも障がい者団体との意見交換等を行いながら、様々な媒体や機会を活用した普及啓発による理解促進を図ることはもとより、地域における相談支援体制の強化や支援を担う人材の育成を通して、障がいのある人が支援を求めやすい環境づくりに取り組んでいきたい。

Q.啓発・教育の見直しのポイントについて。
多様なツールを使ってゲーム感覚で防災を学ぶことも有効。防災を学ぶことができるように、例えば既存の施設に防災教育のコーナーを作ることなどはすぐにでもできると思うが、所見をうかがう。

A.子どもたちへの防災の啓発については、これまでも地域の防災訓練の参加やPTAと連携した体験型防災学習の実施、地震体験車ぐららや地震防災アドバイザーの派遣など様々な取り組みや機会を通じて子どもたちがわかりやすく防災を身につけるよう努めてきた。市役所本庁舎や区役所ホール等を利用して、家具転倒防止セットや防災パネルの展示を行い、市民の方々にも防災啓発に努めてきた。東日本大震災被災自治体として、震災を語り継ぎさらなる防災意識の普及を図るため、様々な工夫も凝らしながら、より効果的な啓発について検討を行っていきたい。

質問はこちら(PDFファイル189バイト)
仙台市議会議会中継、8月22日東日本大震災復興会議もアップされています。

| 選挙・政策 | 23:21 | - | - |
加藤哲夫さんからの宿題
昨年の8月26日に61歳で亡くなった、せんだい・みやぎNPOセンターの代表理事だった加藤120826katousan1.jpg哲夫さん。ご逝去から一年の今日、加藤哲夫さんからの宿題を考える!全国集会が仙台のライブホールRensa(レンサ)で行われた。

加藤哲夫さんの名前を知ったのは、今を去ること30年以上前。当時大学生だった私は、仙台駅前の丸光(今はさくら野百貨店)の裏通りにあった「八重洲書房」によく通っていた。
どちらかというとやんちゃでアナーキーな先生のご指定の教科書は「八重洲書房」のみでしか取り扱っていなかった。新年度になるとそこに買いに行け。と命ぜられ、大根やシャボン玉やとすけを売っている市場の中を入って行くと突然本がダダダッと積み重ねられている、黎明期「八重洲書房」を発見したものだった。
なるほど、先輩たちに「八重洲書房に行くときは決して、綺麗な服、汚してはいけない服を着ていってはいけない」と言われたことが、現地に行って妙に頷けたことを思い出す。
その後、八重洲書房は移転をし2階建ての店舗となって、ちょっとおしゃれになり、2階には「good man」という喫茶店も入った。主要なデートコースの一つである八重洲書房であったが、流石に「good man」には、お金がたまったときや自分たちへのご褒美の時にしか行けなかった。
人権・平和・環境エト120826katousan2.jpgセトラ、特に2階には店主のこだわりの本があった。佐藤文明さんの「戸籍」の本に出会ったのもこの店。エコロジカルなフェミニズムの本もたくさん置いてあった。
2階への階段の手すりには「ミニコミ誌」もたくさんぶら下がっていた。その中で光をはなっていたのが、「加藤哲夫のBOOK NEWS」。加藤さん直筆のカタツムリの絵があり、出版元の住所は「仙台市茂庭字小畑山・・・」(今の青葉区折立)とあった。仙台市にもこんな感覚が鋭く、面白い人がいるんだといたく感銘したことを思い出す。
その後就職をし、仙台市折立の地に赴任をした私は、1982年、ミニコミ誌のみで知っていた加藤哲夫さん&ファミリーのみなさまと顔の見える関係となったのだった。

その後、西公園の向かいに、エコロジーショップ「ぐりん・ぴいす」を出店した加藤さん。環境や安全な食品の話などでこの場所をお借りして、栄養士の仲間との交流をしたことも思い出す。
1980年代は輸入食品のポストハーベストの問題がクローズアップされてきた頃だ。食物アレルギーについても警鐘が鳴らされ、手探り状態ながら対応をしていかなければならかった時代。加藤哲夫さんの本を読んだり、論議をしながら、私は管理栄養士として、子どもたちにより体に良い食べ物を出来る限り提供したいと実践をしたものである。国産の果物は輸入物とくらべて高価であったけれど、どうにか赤字を出さないように、こだわりの食事を提供していったことを思い出す。ぐりん・ぴいすで出している食事のレシピを教えてもらい、昼食やおやつの献立に取り入れたこともあった。

その後、加藤哲夫さんはせんだい・みやぎNPOセンターを立ち上げる。市民団体の一人として、このセンターにはお世話になった。そして折々につけ、相談を持ちかけたことも少なくはなかった。

今日の全国集会には、その名の通り、全国から加藤哲夫さんに惚れていたであろう多くの人が集まった。NPO発祥の要となった加藤哲夫さんからの宿題のワークシートが一人ひとりに配られた。加藤さんのメッセージ付きで。
仙台の小中学校は今日が夏休み最終日。こんな日に宿題を出された私たちは、長い時間をかけて悩むことを楽しんで、実践をしながら回答を探していくんだろう。


| 選挙・政策 | 23:16 | - | - |
機械は使えば使うほど、調子が良くなるのです。女川原発担当者の話!?
120825nwec1.jpg男女共同参画のための研究と実践と交流推進フォーラム(NWECフォーラム)が国立女性教育会館で開催されました。
全国から集まった方々がワークショップやシンポジウムなどに参加をし、大いに交流をしました。
私は、
女子差別撤条約ネットワーク(JNNC)主催の「国際条約とわたしたち〜女性差別撤廃条約を中心に〜」、
均等待遇アクション21
主催のワークショップ、「私の『仕事の価値』を測ってみよう!」、そして私もメンバーとなっている
フェミスト議員連盟
主催の「男性偏重政治が原発政策にもたらす弊害」
120825nwec2.jpg3つのシンポジウムなどに参加をしました。
民法改正運動をともに続けてきた、坂本洋子さん、政治の場に女性をと尽力された永井よし子さん、ペイ・エクイティコンサルティングオフィスの屋嘉比 ふみ子さんなどお世話になっている方ともまたお会いし、交流をすることができました。
「男性偏重政治が原発政策にもたらす弊害」で、シンポジストとなった加美町の伊藤由子町義は
「女川原発に視察に行った。その際、原発の寿命は40年とされ廃炉にされるとしているが」と問いかけたら、女川原発の担当者が
「機械は使えば使い込むほど調子が良くなるのだ。原発の機械は30年くらい稼働したものが一番調子が良く、使いやすい。なんでも情緒的に言うのはいかがなものか」
と話したとの発表があり、参加者から思わず笑いが出ていました。
「男性偏重政治が原発政策にもたらす弊害」シンポジウムの最後には野田首長あての要望書の読み上げがあり、拍手で採択されました。
画像は、女性政策の研究家「三井マリ子さん」と新潟県南魚沼郡在住で元参議院議員の黒岩秩子さんとのスリーショットです。
| 選挙・政策 | 23:55 | - | - |
仙台、脱原発集会&デモ
7月から始まっている仙台での脱原発集会。
勾当台公園いこいの広場で行われました。集まった方々のリレートークがあり、大阪から震災復興支援で仙台に来た方の関西弁での熱い思いもありました。
毎週金曜日、勾当台公園を基本に行われます。
| 選挙・政策 | 23:23 | - | - |
ブラジルは1984年まで軍事政権だったのです。
120824samba.jpg長年の友人でパーカッショニストの翁長巳酉さんがサンパウロのサンバチーム「アギア・ジ・オウロ(Ágia de Ouro/金の鷲)」のプレジデンチ(チームリーダー)とジレトールダバテリヤ(打楽器隊代表)、そしてパシスタ(ダンサー)2名の4名と一緒に仙台にやってきました。

昨日は津波被害があった被災地をまわり、今日は子どもたちも一緒に大サンバ大会。久しぶりにカーニバルのサンバをみんなでたたきました。ちなみに、私はヘピニキを久しぶりに手にしました。
夜の交流会で
「チームができた1976年はブラジルは軍事政権でした。カーニバルで演奏する歌詞も、曲も事前に警察に届け出をして、内容が認められなければカーニバルで演奏ができなかったのです。」
「でちょっとでも反体制の発言をしたり、政府への批判を発信した場合は、すぐに当局に捕まり命を奪われることも少なくなかったのです。」
「当時のカーニバルのテーマはブラジルという国についてが多かったようですね。」
「検閲のあった当時はカーニバルのテーマ曲について(自主規制をしていたから)発表を禁止する事例は聞いていませんでしたが、サンパウロでのポップスの曲では検閲に引っかかったという例があったようです。」
「1984年に軍事政権が崩壊し、カーニバルの曲はチームで好きに決められることになりました。今まで政治的なメッセージが発信できなかったので、どのチームも、せきを切ったように政府に対する批判やこれまでの政治に対する皮肉などをテーマにしました。」

ブラジルの選挙投票率は9割を上回る。 投票は国民の義務。
投票をしない場合は罰則規定があり、ブラジルの場合は罰金が科せられるのです。

「ブラジルでは政治の話をするのは普通のことです。特に最近は政治について、現政権についてがよく語られますね。」
「政策の実現をする官僚主導の場面が多く、特に地方になればなるほどその傾向は強くなります。大統領と官僚は緊張関係を持たなければなりません。」

「私はチームが発足した当初から中心メンバーでした。軍事政権で自由に曲も歌詞も表現することができなかった時代を経験しています。今はカーニバルの曲を自由選ぶことができるからこそ、若い人たちにしつこいほど、この曲のバックグラウンドは何であるか、昔はどうだったのかなどと伝えています。若い人たちにとっては嫌がられることもあるでしょうが、このことを言い続けることが私たちの使命なのです。」
プレジデンチのシジネーさん(画像の左側)。

日本に軍隊を。政治的な発信をした途端にすさまじいバッシング。政治の流れが摩訶不思議な方向に行きそうな今日この頃。
1984年までのブラジルに我が国が行くなんて、まっぴごめんだ。
| 音楽 | 23:58 | - | - |
なせばなる
東日本大震災復興回会議、8つの質問、7分強をしました。
きめ細かな視点だね。
やっと議会でも避難所での女性の視点が質問されたね。
野次に負けないで
複数の方にお声掛けいただき、嬉しい次第。
なせばなるなにごともなのだすね。
| 選挙・政策 | 22:55 | - | - |
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